何にもない人間の何もないブログ

人生を生きていくと考えるとお先真っ暗です

昼ごはんを食べました

昼ごはんが1日で一番の楽しみです
それ以外の楽しみが思い当たりません
それ以外は眠いなあとか死にたいなあとか思うだけで
特には実のある時間をすごしていません
人生が楽しいとはどういうことなのでしょう
いつから私の人生はこうも退屈になってしまったのでしょう
私はあと何年間、こんな人生を送っていればいいのでしょう
考えると果てがなく、実に憂鬱です
もし、私は死んだら
次に目が覚めたときには違う私として人生がはじまるのでしょうか
それは困ります
違う私として生まれたところで
私は私である以上、人としての生を楽しめるとは到底思えません
私が死んだら、どこに向かうのか
それを考えるときりがありません
どうにかして意識を断ち切る方法はないのか
意識はどこかで途切れるのか
それを考えたところでどうにもなりません
収拾がつくことはあるのでしょうか
から揚げを食べたいです
竜田揚げも好きです
片栗粉がまとわりついている歯ざわりがいいです
さくさくとしたから揚げが食べたいです
生まれ変わったらから揚げになれば
私の意識はどうなるのでしょうか
から揚げでなくても、他の何かであったとしたら
何か違うことがあるのでしょうか
考えたところで解決するはずがありません

ぺヤングの焼きそばのキムチ味が食べたい

ぺヤングの焼きそばのキムチ味が食べたい
ぺヤングの焼きそばを食べた記憶は
十年前にまでさかのぼらないと出てこない
友人の家に泊まったときのことだ
夜食を買いにコンビニへ出かけた
とはいっても何か作業をしているわけでもなく
もう寝るだけ
寝酒ならぬ、寝食だ
徒歩十分のところにあるセブンイレブンに出かけた
パンやおにぎり、カップめんを大量に買い込んだ
その量はもはや寝食とはいえないもので
よく食べる男子学生の昼食くらいの量になっていた
友人宅に帰るなり、それらを片っ端から食いつくした
午前二時。やることといえばもう寝るだけだというのに
デブトレーニングもいいところだ
何を食べたのか具体的に覚えてはいないもの
コーンマヨパンは確実に食べた
もう一つ、しっかりと記憶としているものが
ぺヤングの大きいやつだ
ぺヤング二つ分の
1000キロカロリーを越えるあれだ
あれを布団に潜り込み、盛大に啜った
そのまま寝た
起きたとき、ぺヤングは少し残ったまま、枕元にあった
当時、私は風邪を引いていて鼻水が止まらなかった
そのおかげか、いびきがうるさかったと友人たちから怒られた
それ以降、ぺヤングを食べた記憶はない
ぺヤングの焼きそばのキムチ味が食べたい
私はキムチが好きだ
から揚げはもっと好きだ
から揚げが食べたい
マヨネーズを大量に乗せたハイカロリーなから揚げが食べたい
ぺヤングにも負けないハイカロリーなから揚げが食べたい
油と肉汁がジュワっとあふれるから揚げが食べたい
ぺヤングのから揚げ味が出たとしても食べたくはないけれど

から揚げが食べたい

 どうして人は生きなければならないのか
それを考えるとひどく退屈な気分になる
自分の好きで生まれてきたわけではないのに
どうして生きていなくてはならないのか
かといって自殺はしたくない
痛いのが嫌だからだ
そうなると、そもそもとして何故生まれてしまったのか
それを考えては、めんどくさいという気持ちになる
しょうがの利いたから揚げを食べることを考えると
楽しい気分になってくるから
そういうことなのかなあと思ったりもする
から揚げを食べるという楽しみをえるために
私は生きている
逆に言うと、から揚げをたべる以外の楽しみは思い当たらない
から揚げが食べたい
コープに売っている塩からあげが好きだ
オリジン弁当のから揚げが好きだ
ほっともっとのから揚げが好きだ
いつからこんなにから揚げが好きなのかわからない
けれどから揚げが好きだ
おいしいから揚げにめぐり合えたらいいと思う
おいしいから揚げを作れるようになれたらいいと思う
私はから揚げが好きだ
から揚げがこの世からなくなったら
私は生きるということに価値を見出せないかもれない
と言っても、何かを一生食べ続けるなら何がいいという問いに
から揚げとは答えないと思う
それでもから揚げが好きだ

することがない

不毛な日々をすごしています

私はこれでいいのかと思い続けています

大して勉強ができるわけでもなければ

特筆すべき趣味・特技があるわけでもない

日がな一日、テレビを見てすごしているだけの毎日

仕事に対してやる気をだせばいいのだろうけれど

私は今の仕事に向いている気が全くせずに

どうしてこの仕事を選んでしまったのだろう?と疑問に思うほどです

この世に、誰と口を利かなくてもいい

誰と顔を会わせることもなくていい

そんな仕事があるのなら

その仕事こそが私に向いている仕事だと思います

やめたくとも、あと二年はやめてはならないと

自らに課しているために

やめることができません